『なぜ熊本に?』


熊本県に移住した当初の理由は、下記の2点。

・東京以外に住んでみたかった。全て無くなった時はある意味チャンス。特に熊本が好きだった。

(新宿と六本木に会社を持ち、若者が憧れる部屋に済みながらも、どこか違うと思っていたのでしょう。
 東京育ちの父も、現在、東京に実家がありながらも、熊本の山奥に住んでいます。)

・熊本でなら、僕と仕事をしたいという、当時一緒に働いていた部下がいた。


熊本の方にも東京の方にも、記憶するだけでも300人以上に聞かれました。

質問に答えながらも、腑に落ちない相手様と僕。

最初は自問自答も繰り返し、特に熊本の相手様が理解してくれる返答を考えましたが、

最終的には、下記の2点。

・僕の魂が九州/熊本を求めていたから。

・また九州/熊本の地が僕を呼んでくれたから。

常識の世界観/感覚を超えた方々が共通して、僕に言ってくれた2点、おかげさまで僕も腑に落ちました。

今は熊本県から九州全体が好きになりました。

「九州LOVE」という自宅兼事務所も、名刺に書き込んだくらいに(^^)b


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「マイナス100からプラス100へ、振り幅さえ楽しむ男!カッコマン!!」

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東京に戻って来たと思われることも多いですが、僕が東京に乗り込むことを決めたタイミングと、

熊本/バー店舗が閉まったタイミングは違います。

熊本県での商売は、東京以外の土地特有の困難もありましたが、

一番ダメだったのは、トップ(経営者)である自分が、スタッフ(従業員)に依存していたこと。


人生で初めて「自分がどうしたいのか?」分からなくなりました。

39才という年齢で。。。


「記憶力が乏しい=忘れることが出来る強みを持つ」僕でさえ、

人生で初めて胃痛に苦しみました。

初めて1円ハゲも出来ました。

参照:良い経験でした。我慢の種類を学びました。
(URL後日リンクします)


だからこそ「なりたい自分になるため」に「今すべきこと」を、気づかされました。

ゴールが決まったら、結果まで8割進んだも同じ。


今なら「選択肢がある分、翻弄され、どうしていいか分からない→不安になる」、

啓発書を読んでも「目標を明確に持て!?→そんなの分からないよ→ただただ不安にしかならないよ」、

そんな人達の気持ちも分かります。


昔は『不安になることが出来る隙間があるだけ、余裕ある証拠。甘えられる生き方が出来ているから、勘違いするのかな?』、

などと思ったこともありますが、今なら分かります。


昔の僕は、ビジネス人生の逆算が出来たくらい、自分が決まっていた。だから良く言えば強かった。

悪く言えば、迷い不安になる人達の、弱い気持ちが分からなかった。


今は、思いっきり言葉に出来ます。


『(もちろん、世の中の誰もが、未来なんか分からないですが)僕も自分の未来が分からない。』


だからこそ、自分が考え尽くすこと全て、行動に移すしか無い。

それを繰り返すと『何があっても大丈夫』という、自分に突き当たる。


むしろ今は、ちょっぴり偉そうですが、普通は有り得ない困難や壁さえも、

自分を成長させる糧として受け止め(笑)楽しんでいますw


それこそ、一般的な目標設定理論は知っているつもりですが、それはあくまで参考でしかないなか、

僕自身から湧き出た目標は下記。

(それでも見事に中期的目標が自身でも分かりませんがw)


【短期的な目標:僕個人の経済的安定。僕のチーム構築。】

僕には技術も資格も無い。僕と仕事をしたいと集う人がいて初めて仕事になる。
夢を語っている自身が不安定じゃ話しになりませんから。


【中期的な目標:???】

選択肢はいくつかありますが、まだ目標決定には到達していません。


【長期的な目標:人を育てたい。僕について来てくれたスタッフを「バックアップ出来る力を持った」経営者になりたい。】

追いつめられて行き着いたなかで、やっぱり僕は一番ココに生き甲斐を感じるみたいです☆

参照:過去の流星ブログでも
(URL後日リンクします)



東京生まれ、東京育ち、新宿にお墓がある僕。

20才から、当時では珍しい新宿のタワーマンションに住んでいた僕。

熊本に移住して翌月2013年1月、仕事依頼から、初めて新宿/歌舞伎町にほど近いビジネスホテルに宿泊。

それから9ヶ月、月の半分は東京移動/安いビジネスホテル暮らし。

今でこそ、部屋もグループダンディー/オーナーに用意して頂き、

環境にも慣れましたが、宿泊当初は腐り暗くなることも。


それも経験。今なら違う考え方も出来るようになりました。

組織ブランディングの為に購入した運転手付きの世界限定一台/ハマー・リムジンで、

歌舞伎町まで出勤していた時期もありますが、

おかげさまでビジネスホテルの経験から、短期的目標必達に向けて、思考も変わりました。



僕にとっての東京は、生まれたまま生活する場所でしたが、東京を離れて気がつきました。

大方の東京在住者にとって、東京という街は勝負の場所。

(悪いことをしていづらくなっても、俺には戻る場所があるからさ。それに勝てば官軍じゃん!?)

(資本主義は奪い合い主義。生き様?そんなの関係ねえ、等々。。。)

東京が怖いところなのではありません。

どこのコミュニティーだって多かれ少なかれあります。

大都会/東京にはそういう人も多く集まるだけです。


原理原則で考えれば、答えが明確ですが。。。

離れて(行動を起こして)ようやく気がつきました。


逆に移住により、東京に憧れながらも様々な不安を抱え、上京出来ずにいる方の気持ちも分かりました。

だから、僕は地方から上京する人を、バックアップしたい。バックアップ出来る男になりたい!!



「九州は熊本から、東京、まずは歌舞伎町に乗り込みます!!」

「マイナス100からプラス100へ、振り幅さえ楽しむ男!カッコマン!!」

アホな自作キャッチコピーを考え書き込んでいますが、これもリアルな僕の生き様です。


【短期的な目標:僕個人の経済的安定。僕のチーム構築。】からの、

【長期的な目標:人を育てたい。僕について来てくれたスタッフを「バックアップ出来る力を持った」経営者になりたい。】に向けて、

熊本に行ったからこそ、カッコマン復活物語がスタートしました。


熊本のお坊さんや霊感メッセージある方々に言われた『土地が、熊本があなたを呼んでいる』、

どういう意味なのかはまだ分かりませんが、事実、熊本に行ったから沢山のことに気がついた。


願わくば、熊本に限らず九州でも事業をしたい。

僕に集う子が「田舎に錦を飾るべく」九州展開したければ、なおさら応援したい。

その為にも今は、東京で自身の状態を再構築します。


東京を離れたのが、ちょうど1年前の、2012年12月29日。

ある銀座のママさんが言ってくれました。

『普通は1年、早い人は半年で気づき、行動を起こす。体裁で1年に合わせる人もいる。』

いま思えば、そのまま当てはまっていることが怖いですがw


熊本に、オフィス兼自宅を置きながらの、未来構築。

意味があったのか?自己満足で終わるのか?、僕自身が、これから楽しみで仕方ありません(^^)b