カッコマン 新宿社長の<かっこ>つけメインビジュアル

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2013年12月

東京を離れて、良かった。気がついた。熊本だったから、それが出来た。



『なぜ熊本に?』


熊本県に移住した当初の理由は、下記の2点。

・東京以外に住んでみたかった。全て無くなった時はある意味チャンス。特に熊本が好きだった。

(新宿と六本木に会社を持ち、若者が憧れる部屋に済みながらも、どこか違うと思っていたのでしょう。
 東京育ちの父も、現在、東京に実家がありながらも、熊本の山奥に住んでいます。)

・熊本でなら、僕と仕事をしたいという、当時一緒に働いていた部下がいた。


熊本の方にも東京の方にも、記憶するだけでも300人以上に聞かれました。

質問に答えながらも、腑に落ちない相手様と僕。

最初は自問自答も繰り返し、特に熊本の相手様が理解してくれる返答を考えましたが、

最終的には、下記の2点。

・僕の魂が九州/熊本を求めていたから。

・また九州/熊本の地が僕を呼んでくれたから。

常識の世界観/感覚を超えた方々が共通して、僕に言ってくれた2点、おかげさまで僕も腑に落ちました。

今は熊本県から九州全体が好きになりました。

「九州LOVE」という自宅兼事務所も、名刺に書き込んだくらいに(^^)b


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「マイナス100からプラス100へ、振り幅さえ楽しむ男!カッコマン!!」

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東京に戻って来たと思われることも多いですが、僕が東京に乗り込むことを決めたタイミングと、

熊本/バー店舗が閉まったタイミングは違います。

熊本県での商売は、東京以外の土地特有の困難もありましたが、

一番ダメだったのは、トップ(経営者)である自分が、スタッフ(従業員)に依存していたこと。


人生で初めて「自分がどうしたいのか?」分からなくなりました。

39才という年齢で。。。


「記憶力が乏しい=忘れることが出来る強みを持つ」僕でさえ、

人生で初めて胃痛に苦しみました。

初めて1円ハゲも出来ました。

参照:良い経験でした。我慢の種類を学びました。
(URL後日リンクします)


だからこそ「なりたい自分になるため」に「今すべきこと」を、気づかされました。

ゴールが決まったら、結果まで8割進んだも同じ。


今なら「選択肢がある分、翻弄され、どうしていいか分からない→不安になる」、

啓発書を読んでも「目標を明確に持て!?→そんなの分からないよ→ただただ不安にしかならないよ」、

そんな人達の気持ちも分かります。


昔は『不安になることが出来る隙間があるだけ、余裕ある証拠。甘えられる生き方が出来ているから、勘違いするのかな?』、

などと思ったこともありますが、今なら分かります。


昔の僕は、ビジネス人生の逆算が出来たくらい、自分が決まっていた。だから良く言えば強かった。

悪く言えば、迷い不安になる人達の、弱い気持ちが分からなかった。


今は、思いっきり言葉に出来ます。


『(もちろん、世の中の誰もが、未来なんか分からないですが)僕も自分の未来が分からない。』


だからこそ、自分が考え尽くすこと全て、行動に移すしか無い。

それを繰り返すと『何があっても大丈夫』という、自分に突き当たる。


むしろ今は、ちょっぴり偉そうですが、普通は有り得ない困難や壁さえも、

自分を成長させる糧として受け止め(笑)楽しんでいますw


それこそ、一般的な目標設定理論は知っているつもりですが、それはあくまで参考でしかないなか、

僕自身から湧き出た目標は下記。

(それでも見事に中期的目標が自身でも分かりませんがw)


【短期的な目標:僕個人の経済的安定。僕のチーム構築。】

僕には技術も資格も無い。僕と仕事をしたいと集う人がいて初めて仕事になる。
夢を語っている自身が不安定じゃ話しになりませんから。


【中期的な目標:???】

選択肢はいくつかありますが、まだ目標決定には到達していません。


【長期的な目標:人を育てたい。僕について来てくれたスタッフを「バックアップ出来る力を持った」経営者になりたい。】

追いつめられて行き着いたなかで、やっぱり僕は一番ココに生き甲斐を感じるみたいです☆

参照:過去の流星ブログでも
(URL後日リンクします)



東京生まれ、東京育ち、新宿にお墓がある僕。

20才から、当時では珍しい新宿のタワーマンションに住んでいた僕。

熊本に移住して翌月2013年1月、仕事依頼から、初めて新宿/歌舞伎町にほど近いビジネスホテルに宿泊。

それから9ヶ月、月の半分は東京移動/安いビジネスホテル暮らし。

今でこそ、部屋もグループダンディー/オーナーに用意して頂き、

環境にも慣れましたが、宿泊当初は腐り暗くなることも。


それも経験。今なら違う考え方も出来るようになりました。

組織ブランディングの為に購入した運転手付きの世界限定一台/ハマー・リムジンで、

歌舞伎町まで出勤していた時期もありますが、

おかげさまでビジネスホテルの経験から、短期的目標必達に向けて、思考も変わりました。



僕にとっての東京は、生まれたまま生活する場所でしたが、東京を離れて気がつきました。

大方の東京在住者にとって、東京という街は勝負の場所。

(悪いことをしていづらくなっても、俺には戻る場所があるからさ。それに勝てば官軍じゃん!?)

(資本主義は奪い合い主義。生き様?そんなの関係ねえ、等々。。。)

東京が怖いところなのではありません。

どこのコミュニティーだって多かれ少なかれあります。

大都会/東京にはそういう人も多く集まるだけです。


原理原則で考えれば、答えが明確ですが。。。

離れて(行動を起こして)ようやく気がつきました。


逆に移住により、東京に憧れながらも様々な不安を抱え、上京出来ずにいる方の気持ちも分かりました。

だから、僕は地方から上京する人を、バックアップしたい。バックアップ出来る男になりたい!!



「九州は熊本から、東京、まずは歌舞伎町に乗り込みます!!」

「マイナス100からプラス100へ、振り幅さえ楽しむ男!カッコマン!!」

アホな自作キャッチコピーを考え書き込んでいますが、これもリアルな僕の生き様です。


【短期的な目標:僕個人の経済的安定。僕のチーム構築。】からの、

【長期的な目標:人を育てたい。僕について来てくれたスタッフを「バックアップ出来る力を持った」経営者になりたい。】に向けて、

熊本に行ったからこそ、カッコマン復活物語がスタートしました。


熊本のお坊さんや霊感メッセージある方々に言われた『土地が、熊本があなたを呼んでいる』、

どういう意味なのかはまだ分かりませんが、事実、熊本に行ったから沢山のことに気がついた。


願わくば、熊本に限らず九州でも事業をしたい。

僕に集う子が「田舎に錦を飾るべく」九州展開したければ、なおさら応援したい。

その為にも今は、東京で自身の状態を再構築します。


東京を離れたのが、ちょうど1年前の、2012年12月29日。

ある銀座のママさんが言ってくれました。

『普通は1年、早い人は半年で気づき、行動を起こす。体裁で1年に合わせる人もいる。』

いま思えば、そのまま当てはまっていることが怖いですがw


熊本に、オフィス兼自宅を置きながらの、未来構築。

意味があったのか?自己満足で終わるのか?、僕自身が、これから楽しみで仕方ありません(^^)b




1店舗出勤、そして、ナンバーに出ることを決めた背景


僕は仕事が大好きです。


そんな今の僕が集中すべき仕事は、2013年1月から承っている、

ホストクラブ業界最大手/グループダンディーの顧問業。


悔しくも10年で解散したホストクラブ/フェイズグループを立ち上げる前の古巣、

業界No.1のトップダンディーを有するグループダンディーにて、

グループ全体の売上を上げること、グループの未来を創ることが、顧問としての最大ミッション。


マイナスからのスタートである僕が、そんな偉そうな目線から始まり言うのもなんですが、

今こうしていられるのも、仲間でもあるグループ各店舗の社長達に、復活ステージを与えてもらったおかげ。


①「僕に出来ること/熟考し」

②「僕が出来ること/主体的に軸を絞り」

③「僕がすべきこと/責任もって行動に移す」


もちろんいつかは「僕にしか出来ないこと」に昇華させるつもりですが、

まずは熟考だけでなく行動としての現場出勤から始めました。


そんななか、集中店舗出勤して欲しいとの、ありがたい声がチラホラ。

お客様にとってもスタッフにとっても僕個人にとっても、

また顧問としての結果を具現化するためにも、集中店舗出勤は分かり易い。


『しかし、限定した既存店舗に出勤するなら、逆に、僕にしか出来ないことは何だろう?』


既存店舗には、もちろん、それぞれ適任者が勤務しています。

どこも明るい未来あるグループ店舗において『既存1店舗で何が出来るか?』考えました。



そんな背景から、まずは自身の強みを洗い出しました。

(強み=弱みでもあります。コンプレックスはパワーの源、弱みを強みに変える最強要因と僕は考えます。)

・業界的には27才をピークに、誰もが下がる理由を探し始めるなか、僕は現在39才。

・業界で初めて国税の査察が入り、反省材料であるとともに、様々な足かせが今もある。

・フェイズグループ・創業時代から残る、聞いた方々が思わずニコッと笑ってくれる、借金を抱えているw


また、ホスト経験者に良くあることも洗い出しました。

・売れなくなった自分を守る為に、店舗出勤しない理由付けを探す。
(貢献して来た云々、別の仕事が云々、赤字責任無いのに経営者気取り云々。。。)

・今では弱くなった自分、過去の栄光を大事に守る為に、業界に関わりながらナンバーに出ない。
(店舗内最高責任者は、ナンバーに出ない方が定石だと、僕も思います。)
(また、別業種に移行するうえで、戦略的に必要なこともありますが、大方は。。。)

ホストクラブを会社組織単位で考えると、ホスト=営業一課、営業マンが数字から逃げてどうする!?

そんななか『僕に出来ること→僕にしか出来ないこと』へと直結する、アイデアが浮かび。。。


・カリスマと呼ばれた業界的長老であったとしても、現場に出るときは売上(ナンバー掲載)から逃げず、
 必死になっている姿を見せることで、少しでも指針になれば???

・借金抱えた39才でも、諦めずに向き合って必死になっている姿を見せることで、
 諦めかけた人財が、少しでも変わるキッカケを投じることが出来れば???


僕の得意分野はブランディング。

『個人も店も、同時ブランディング・コントロール!?』 

『キツイなあ。。。でも、それも僕らしくて良い!!?』


それって、自信があるからでしょ等、わけの分からない反響を払拭する為に、書き込みますが、

大事なのは【必死になること】【逃げない姿勢】を見せることかと。


もちろん死んでしまってはダメなので、逃げることも時として大切な判断ですが。。。

責任を背負いたがらない生き方が主流の現代日本社会であったとしても。。。

必死になって逃げずにやり切って、初めて次のステージが見えるモノだと、僕は思います。


【必死って、カッコ良くないですか???】


もちろん、お客様を大切に迎え続ける現役ホストの子達に、ナンバー争いで勝てるとも思っていません。

また、顧問である僕の最終ミッションは、No.1を取ることではありません。

現実問題、No.5圏内がいいところでしょう。

それでも、僕はNo.1を狙う姿勢で臨みます。

必死になってNo.1を取ることが、ご指名頂くお客様への一番の恩返しであり、

(教えの意味でも)次への通過点だと知っているからです。



今回の決断、自分で自分を笑っちゃいます。

普通は選ばない、というかそういった考えにならないのに、ね。


でもね。

自身のなかの長期的目標と向き合った時、この決断に至りました。

【長期的目標:人を育てたい、大事な人をバックアップ出来る男になりたい】

【僕の武器:ブランディング技術。自称カッコマン、そのひとつは逃げない姿勢。】

参照:目標が定まったのは熊本に行ったから
(URL後日掲載します)


そんな背景から、筋として一番最初に限定出勤の声を掛けてくれた、龍一社長が率いるお店、

イケてるオッサンのステージ(I:イケテル、O:オッサンの、S:ステージ)、

トップダンディー・アイオス(I-OS)にて、2013年12月度より、現役ホスト出勤することを決めました。

紹介:トップダンディー・アイオス(I-OS)
http://t-ios.com/


ちなみに、現アイオスの箱は、以前フェイズグループ社長時代の僕が、フロア全改築設計から手掛けたモノ。

また、13年前トップダンディーにて代表を務めていた時に紹介を受け、ヤンチャな龍一を面接したのは僕。


何が言いたいか。

本当のプライドとは、変なこだわりにとらわれて逃げる、弱い自分を守ることではなく、

『這いつくばってでも立ち上がること!!』ではないでしょうか???


あらためて。

そんなカッコつけな僕に、活躍の舞台を与えてくれる仲間に感謝し、

店舗:トップダンディー・アイオスから、ブランド:グループダンディーの未来へ、

更なる発展に貢献します!

まずはカッコマン復活物語の序章に、ご期待ください!!



                               三百六十五歩のマーチ 水前寺清子
                      「休まないで 歩け ソレ ワン・ツー ワン・ツー」
                                  2013.12.12 カッコマン 






「流星います。」
プロフィール
水野正大

カッコマン
水野 正大(ミズノ マサヒロ)
流星(リュウセイ)


1974年2月28日
東京に生まれる。うお座。
1994年
新宿 歌舞伎町にてホストを始める。
源氏名は「流星」
2002年
独立。
歌舞伎町ホストクラブ・フェイズグループを設立。
2005年
六本木フォト&メイクスタジオ GADPAを設立。
2009年
新宿にてホールディング会社
(株)SDJを設立。
2011年
フェイズグループ解散
2013年
熊本に居を構える。
東京まずは歌舞伎町から復活ストーリー開始

全国ホストクラブグループダンディー
/顧問
六本木フォト&メイクスタジオ GADPA
/オーナー

現在、熊本と歌舞伎町と六本木を廻る生活をしています。

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