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カッコマン

トップダンディー・アイオスでの復活物語【第1章】一年を振り返って☆ありがとう



僕のミッションは、関わるホストクラブグループが大きくなることへの貢献。

今回、同じグループ店舗に異動するだけですが、それでも各店舗目線で考えたら、一つの区切りです。

昨夜、貴重な月末営業時間中にビデオレターを流して頂き、また、送別会を行って頂きました。

トップダンディー・アイオスというお店は、とても温かいお店です。

そのお店の素晴らしさを歴史に残すために、

いち働き手目線として、ここに一年間の流れを記したいと思います。

「トップダンディー・アイオスに関わる、皆様にお礼申し上げます! ありがとうございました!!』


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昨年、10年ぶりに、現役ホストとして、現場/ホストクラブに出勤することを決めた僕。

ミラクルの連続で、復活月から僕の実力を遥かに超えた、高い数字を叩くことが出来ました。

参照ブログ:売上1750万円! 復活月にNo.1を獲れたことに感謝!!
http://mizuno-masahiro.com/archives/51978198.html



僕自身は、自身のビジネス復活はもちろん、今後の人財教育のためにも、年齢や外的要因を言い訳にせず、

這いつくばってでも「自分に向き合う生き様」を、自身の歴史に残したかった背景もありました。

ゼロからのスタートであっても、マイナスからのリ・スタートであっても、

大切なことは「その上で、自分がどうするか?」です。


だから過去の栄光なんざにとらわれず「逃げない姿勢を歴史に残す」そんな意味を込めてスタートました。

参照ブログ:1店舗出勤、そして、ナンバーに出ることを決めた背景
http://mizuno-masahiro.com/archives/51966934.html


もちろん自分なりに、日々やり切った自己満足もありますが、お客様方の多大なるご尽力のおかげで、

なんと復活月から、4ヶ月連続No.1を獲得することが出来ました!!


途中、ホスト的ボーナス売上/40才の誕生日という節目もありましたが、

もちろん誕生日月の前後月もNo.1を狙い獲りました☆

紹介サイト:誕生日イベントの模様(いつか消えてしまうものなので、このブログ最後に再度貼り付けます)
http://www.host2.jp/topics/42443/index.html




そんな僕。

もちろん、過去ブログに示したように、僕のアイオスでのゴールはNo.1を獲ることではありません。

当初の最下位からのスタート/自己プロデュースと、真逆/NO.1スタートとなったこと、

自分でも困惑した時期もありました。

それでも、自分で自分のことを『僕は運が良い♡』と、敢えて自己認証し、

自身が出来ることを常に模索してきました。


復活月から5ヶ月が過ぎ、ホストクラブ/アイオスにて、No.3ホストとなりました。そして、翌月はNo.5。

もちろん、お客様を大切にお迎え続けている、現役ホスト達に敵うとも思っていません。

また、たまたまのラッキーが続いただけだと言う自覚もあります。



それでも。。。

純粋に悔しかった!!

むしろ現役最高年齢/大人ホストだとしても、声を大きく出して言いたい!!!

悔しいかった!!!! 『く・や・し・い』です!!!!!


なぜ、ココにそんな心情を明記したか?

それは、悔しい気持ちを持つことは、実は大きな原動力になるということを、後世に伝えたいから。

悔しさというものは、期待・希望・未来が無ければ産まれないものだと、僕は思います。

最初から斜に構えたり、諦めたりしていたら、悔しさなんて出てきませんから。

実際、ホストクラブに務める20年前の僕、悔しいと思う気持ちさえ無かった半端者でした。



そんな、仕上げるのに時間枠を決めて挑戦した、僕的節目の6ヶ月目。

といえば聞こえはいいですが。。。

実態は「6ヶ月先までしか、自己イメージできない」当時は特に弱い自分がいました。


昔の僕は、ビジネス10年逆算、少なくとも3年イメージで区切りをつけ、進めることが出来ていました。

恥ずかしい話、この当時は不安すぎて、6ヶ月先の出勤契約しか、自ら提案できませんでした。

アイオス社長/龍一は、後輩です。

(もちろん、責任を果たそうとする責任感が、そうさせるのですが)

彼に『せめて1年契約にしましょう。半年なんて、スタッフと仲良くなってこれからの時ですから。』、

と言われても、後輩と1年先の約束が出来ないくらいに、責任感を言い訳とした弱い自分がいました。



店舗と個人のブランディングという、無茶な選択をし、実行に移した僕。

経験上、自分のリズムは、自分が知っています。身体と心は正直ですから。

超プラス思考の僕、自分で自分を騙し続けることも大切。

逆に、心の限界を知っていることも大切なことだと、僕は思います。



そんな僕。

そういう時は、大好きな日本を飛び出すと、発想が転換される経験則を持っています。

僕の地元の親友が、タイでひとつの成長/成功をしたことを、お祝いついでに日本を離れました。

クレジットカードのマイルのおかげで、タダ。友人のおかげで、ほとんどお金も掛かりません。

神様として崇められる王族/国王のお孫さんが来店する、超・高級寿司までもw

あらためて、仲間の成功を心から賞賛したいだけでなく、実質的にも感謝です☆


IMG_20140512_192859










写真右:互いに財布に1000円も入っていない時代、チャーシューメンに憧れ、二人で半分ずつ食べた友人/リキ
今や、100台のパトカーと共に、真中の御方/王族が食べに来る寿司屋のオーナーです☆

紹介:タイ/トンロー地区 寿司神田Facebook
https://www.facebook.com/SUSHI.KANDA

参照ブログ:リキとの色々
http://mizuno-masahiro.com/archives/51632785.html




帰国後、契約更新と共に、スイッチしました。

背中は魅せられるけれど、どうしても自己時間に集中せざるを得ないNO.ランキングから外れ、

本来の職務/顧問という立ち位置に集中することとしました。

パッと見の動作は同じですが、目線・思考は全く違います。


あれから6ヶ月が過ぎました。

自画自賛は控えますが、僕自身、お店を経営していた経験値は財産。

どこのポイントが要修正か見えますし、行動にも移せるので、

よりアイオスというお店が良くなった自負はあります。


100点の人間なんていないように、100点のお店はありません。

それでも、僕が卒業しても「まいた種が芽となり更にアイオスが良くなる」そんな自信が僕にはあります。

『流星と仕事したら上手くいった。伸びた。』

誰かにそんな風に思ってもらえたら、カッコマンとしては、最高に嬉しい賛美です☆



そんな上目線でありながらも、実は助けられたのは僕。

トップダンディー・アイオスにて、現役ホストとしてチャレンジ復活したからこそ、

おかげさまでこの一年で、あらゆる方向・角度から、僕の借金は1/4にまで縮小しました。


※一見、明るい話に見えますが、

この残っている1/4の額に『強気の僕でさえ、ここまで小さくなってしまうのか。。。』と、

キツく学べた一年でもありました。今は違います。


何はともあれ、ここまで来れたキッカケは、後輩でもある龍一が『アイオスだけに来てほしい』と、

一途に声を掛け続けてくれたから。

大人が多く集うアイオスだからこそ、僕がお役に立てたわけで。


幹部を筆頭に、アイオス・スタッフとの時間は、本当に楽しかった!

 I:イケテル O:オッサンの S:ステージ( I−OS)、アイオスは最高のお店です!!

みんな本当に本当にありがとう!!!






売上1750万円! 復活月にNo.1を獲れたことに感謝!!



2013年12月1日から、歌舞伎町/トップダンディー・アイオスにて、現役ホストとして39才で復活した僕。

参照:背景はコチラ(1店舗出勤、そして、ナンバーに出ることを決めた背景)

http://mizuno-masahiro.com/archives/51966934.html


おかげさまで、お世話になった方々へ吉報報告、出来ることとなりました。

僕に関わる全ての皆様に、御礼申し上げます。

「売上1750万円! 復活月にNo.1を獲れたことに感謝!!」

本当に本当に、ありがとうございます!!



普通の頭の良いホストは、こんな具体的数字をアップしません。

それでも、僕はアップします。


「人を育てたい・大事な人をバックアップ出来る力を持つ経営者になりたい」

僕の長期的目標、経営理念に向かって残します。


業界アンケートのプロフィールにも「どんなホストになりたいか?」との質問に対し、

「ホストという仕事に夢が持てることを、実証し続けるホストになりたいです。」と、書きました。

だからこそ、数字も書きました。


過去の選手の記録は、現代の選手の目標となり、塗り換えられる為に記録は存在するものですが、

過去にカリスマホストと言われた僕個人の歴史のなかでも、大変に大きな数値です。


閲覧される業界を知らない方々に、ホスト業界の数字について、僕目線での1つの基準をココで。

①名だけホストになる:面接合格率99%/ほぼ誰でもホストクラブに勤務出来る

②人件費、店側の負担にならないホストになる:小計60万円(売上約87万円)/現在の僕の実力

③1人前のホストになる:小計100万円(売上約145万円)/1つのハードル

④売れっ子ホストになる:小計300万円(売上約435万円)/継続したらお店の看板ホスト

⑤超・売れっ子ホストとしての勲章:小計1000万円(売上約1450万円)/1回でも突破出来るホストは100人中1人以下

※小計とは業界特有の表現ですが、店舗にもよりますが、小計×約1.45倍=売上/商店ならば月商売上。
 景気やブーム・時代によって、もちろん変動イメージはありますなか、高売上者はいつの時代もいます。

参照:ホストになることがゴールではない。あくまでスタート。ずっと昔にも同じことを書いています。
(後日リンクします)



今回10年ぶりの現役復帰月に、39才のいちホストでありながら、現在の実力の20倍もの結果を残せたこと。


実は、本日1月23日にアップした背景にも、僕の個人的な強い想いもあります。


そんな偉そうなことを言っていながら、先月は睡眠前でも手のひらには震え&脂汗があったくらい、

本心ではプレッシャーが掛かっていたんでしょう(笑)


僕なりに、自己啓発理論から身体バランスケア理論まで日々意識していますし、

プラス思考への切り替え速度も、精神面も強い自負もあるのにw



「乗り越えた分、男はカッコ良くなれる」


今回、復帰月に実質的に華を添えて頂いた方々はもちろん、

(この数年間、僕でさえ腐りそうなときに)様々な応援方法で、様々な方々に支え続けて頂いたおかげ。

心から僕に関わる皆さまに御礼申し上げます!!




僕に関わる全ての人へ

「いつもありがとう」

39才現役ホスト流星
2014.1.23






東京を離れて、良かった。気がついた。熊本だったから、それが出来た。



『なぜ熊本に?』


熊本県に移住した当初の理由は、下記の2点。

・東京以外に住んでみたかった。全て無くなった時はある意味チャンス。特に熊本が好きだった。

(新宿と六本木に会社を持ち、若者が憧れる部屋に済みながらも、どこか違うと思っていたのでしょう。
 東京育ちの父も、現在、東京に実家がありながらも、熊本の山奥に住んでいます。)

・熊本でなら、僕と仕事をしたいという、当時一緒に働いていた部下がいた。


熊本の方にも東京の方にも、記憶するだけでも300人以上に聞かれました。

質問に答えながらも、腑に落ちない相手様と僕。

最初は自問自答も繰り返し、特に熊本の相手様が理解してくれる返答を考えましたが、

最終的には、下記の2点。

・僕の魂が九州/熊本を求めていたから。

・また九州/熊本の地が僕を呼んでくれたから。

常識の世界観/感覚を超えた方々が共通して、僕に言ってくれた2点、おかげさまで僕も腑に落ちました。

今は熊本県から九州全体が好きになりました。

「九州LOVE」という自宅兼事務所も、名刺に書き込んだくらいに(^^)b


☆;+;。・゚・。;+;☆;+;。・゚・。;+;☆;+;。・゚・。;+;☆;+;。・゚・。;+;☆;+;。・゚・。;+;☆;+;。・゚・。;+;☆;+;。・゚・。;☆

「マイナス100からプラス100へ、振り幅さえ楽しむ男!カッコマン!!」

☆;+;。・゚・。;+;☆;+;。・゚・。;+;☆;+;。・゚・。;+;☆;+;。・゚・。;+;☆;+;。・゚・。;+;☆;+;。・゚・。;+;☆;+;。・゚・。;☆


東京に戻って来たと思われることも多いですが、僕が東京に乗り込むことを決めたタイミングと、

熊本/バー店舗が閉まったタイミングは違います。

熊本県での商売は、東京以外の土地特有の困難もありましたが、

一番ダメだったのは、トップ(経営者)である自分が、スタッフ(従業員)に依存していたこと。


人生で初めて「自分がどうしたいのか?」分からなくなりました。

39才という年齢で。。。


「記憶力が乏しい=忘れることが出来る強みを持つ」僕でさえ、

人生で初めて胃痛に苦しみました。

初めて1円ハゲも出来ました。

参照:良い経験でした。我慢の種類を学びました。
(URL後日リンクします)


だからこそ「なりたい自分になるため」に「今すべきこと」を、気づかされました。

ゴールが決まったら、結果まで8割進んだも同じ。


今なら「選択肢がある分、翻弄され、どうしていいか分からない→不安になる」、

啓発書を読んでも「目標を明確に持て!?→そんなの分からないよ→ただただ不安にしかならないよ」、

そんな人達の気持ちも分かります。


昔は『不安になることが出来る隙間があるだけ、余裕ある証拠。甘えられる生き方が出来ているから、勘違いするのかな?』、

などと思ったこともありますが、今なら分かります。


昔の僕は、ビジネス人生の逆算が出来たくらい、自分が決まっていた。だから良く言えば強かった。

悪く言えば、迷い不安になる人達の、弱い気持ちが分からなかった。


今は、思いっきり言葉に出来ます。


『(もちろん、世の中の誰もが、未来なんか分からないですが)僕も自分の未来が分からない。』


だからこそ、自分が考え尽くすこと全て、行動に移すしか無い。

それを繰り返すと『何があっても大丈夫』という、自分に突き当たる。


むしろ今は、ちょっぴり偉そうですが、普通は有り得ない困難や壁さえも、

自分を成長させる糧として受け止め(笑)楽しんでいますw


それこそ、一般的な目標設定理論は知っているつもりですが、それはあくまで参考でしかないなか、

僕自身から湧き出た目標は下記。

(それでも見事に中期的目標が自身でも分かりませんがw)


【短期的な目標:僕個人の経済的安定。僕のチーム構築。】

僕には技術も資格も無い。僕と仕事をしたいと集う人がいて初めて仕事になる。
夢を語っている自身が不安定じゃ話しになりませんから。


【中期的な目標:???】

選択肢はいくつかありますが、まだ目標決定には到達していません。


【長期的な目標:人を育てたい。僕について来てくれたスタッフを「バックアップ出来る力を持った」経営者になりたい。】

追いつめられて行き着いたなかで、やっぱり僕は一番ココに生き甲斐を感じるみたいです☆

参照:過去の流星ブログでも
(URL後日リンクします)



東京生まれ、東京育ち、新宿にお墓がある僕。

20才から、当時では珍しい新宿のタワーマンションに住んでいた僕。

熊本に移住して翌月2013年1月、仕事依頼から、初めて新宿/歌舞伎町にほど近いビジネスホテルに宿泊。

それから9ヶ月、月の半分は東京移動/安いビジネスホテル暮らし。

今でこそ、部屋もグループダンディー/オーナーに用意して頂き、

環境にも慣れましたが、宿泊当初は腐り暗くなることも。


それも経験。今なら違う考え方も出来るようになりました。

組織ブランディングの為に購入した運転手付きの世界限定一台/ハマー・リムジンで、

歌舞伎町まで出勤していた時期もありますが、

おかげさまでビジネスホテルの経験から、短期的目標必達に向けて、思考も変わりました。



僕にとっての東京は、生まれたまま生活する場所でしたが、東京を離れて気がつきました。

大方の東京在住者にとって、東京という街は勝負の場所。

(悪いことをしていづらくなっても、俺には戻る場所があるからさ。それに勝てば官軍じゃん!?)

(資本主義は奪い合い主義。生き様?そんなの関係ねえ、等々。。。)

東京が怖いところなのではありません。

どこのコミュニティーだって多かれ少なかれあります。

大都会/東京にはそういう人も多く集まるだけです。


原理原則で考えれば、答えが明確ですが。。。

離れて(行動を起こして)ようやく気がつきました。


逆に移住により、東京に憧れながらも様々な不安を抱え、上京出来ずにいる方の気持ちも分かりました。

だから、僕は地方から上京する人を、バックアップしたい。バックアップ出来る男になりたい!!



「九州は熊本から、東京、まずは歌舞伎町に乗り込みます!!」

「マイナス100からプラス100へ、振り幅さえ楽しむ男!カッコマン!!」

アホな自作キャッチコピーを考え書き込んでいますが、これもリアルな僕の生き様です。


【短期的な目標:僕個人の経済的安定。僕のチーム構築。】からの、

【長期的な目標:人を育てたい。僕について来てくれたスタッフを「バックアップ出来る力を持った」経営者になりたい。】に向けて、

熊本に行ったからこそ、カッコマン復活物語がスタートしました。


熊本のお坊さんや霊感メッセージある方々に言われた『土地が、熊本があなたを呼んでいる』、

どういう意味なのかはまだ分かりませんが、事実、熊本に行ったから沢山のことに気がついた。


願わくば、熊本に限らず九州でも事業をしたい。

僕に集う子が「田舎に錦を飾るべく」九州展開したければ、なおさら応援したい。

その為にも今は、東京で自身の状態を再構築します。


東京を離れたのが、ちょうど1年前の、2012年12月29日。

ある銀座のママさんが言ってくれました。

『普通は1年、早い人は半年で気づき、行動を起こす。体裁で1年に合わせる人もいる。』

いま思えば、そのまま当てはまっていることが怖いですがw


熊本に、オフィス兼自宅を置きながらの、未来構築。

意味があったのか?自己満足で終わるのか?、僕自身が、これから楽しみで仕方ありません(^^)b




1店舗出勤、そして、ナンバーに出ることを決めた背景


僕は仕事が大好きです。


そんな今の僕が集中すべき仕事は、2013年1月から承っている、

ホストクラブ業界最大手/グループダンディーの顧問業。


悔しくも10年で解散したホストクラブ/フェイズグループを立ち上げる前の古巣、

業界No.1のトップダンディーを有するグループダンディーにて、

グループ全体の売上を上げること、グループの未来を創ることが、顧問としての最大ミッション。


マイナスからのスタートである僕が、そんな偉そうな目線から始まり言うのもなんですが、

今こうしていられるのも、仲間でもあるグループ各店舗の社長達に、復活ステージを与えてもらったおかげ。


①「僕に出来ること/熟考し」

②「僕が出来ること/主体的に軸を絞り」

③「僕がすべきこと/責任もって行動に移す」


もちろんいつかは「僕にしか出来ないこと」に昇華させるつもりですが、

まずは熟考だけでなく行動としての現場出勤から始めました。


そんななか、集中店舗出勤して欲しいとの、ありがたい声がチラホラ。

お客様にとってもスタッフにとっても僕個人にとっても、

また顧問としての結果を具現化するためにも、集中店舗出勤は分かり易い。


『しかし、限定した既存店舗に出勤するなら、逆に、僕にしか出来ないことは何だろう?』


既存店舗には、もちろん、それぞれ適任者が勤務しています。

どこも明るい未来あるグループ店舗において『既存1店舗で何が出来るか?』考えました。



そんな背景から、まずは自身の強みを洗い出しました。

(強み=弱みでもあります。コンプレックスはパワーの源、弱みを強みに変える最強要因と僕は考えます。)

・業界的には27才をピークに、誰もが下がる理由を探し始めるなか、僕は現在39才。

・業界で初めて国税の査察が入り、反省材料であるとともに、様々な足かせが今もある。

・フェイズグループ・創業時代から残る、聞いた方々が思わずニコッと笑ってくれる、借金を抱えているw


また、ホスト経験者に良くあることも洗い出しました。

・売れなくなった自分を守る為に、店舗出勤しない理由付けを探す。
(貢献して来た云々、別の仕事が云々、赤字責任無いのに経営者気取り云々。。。)

・今では弱くなった自分、過去の栄光を大事に守る為に、業界に関わりながらナンバーに出ない。
(店舗内最高責任者は、ナンバーに出ない方が定石だと、僕も思います。)
(また、別業種に移行するうえで、戦略的に必要なこともありますが、大方は。。。)

ホストクラブを会社組織単位で考えると、ホスト=営業一課、営業マンが数字から逃げてどうする!?

そんななか『僕に出来ること→僕にしか出来ないこと』へと直結する、アイデアが浮かび。。。


・カリスマと呼ばれた業界的長老であったとしても、現場に出るときは売上(ナンバー掲載)から逃げず、
 必死になっている姿を見せることで、少しでも指針になれば???

・借金抱えた39才でも、諦めずに向き合って必死になっている姿を見せることで、
 諦めかけた人財が、少しでも変わるキッカケを投じることが出来れば???


僕の得意分野はブランディング。

『個人も店も、同時ブランディング・コントロール!?』 

『キツイなあ。。。でも、それも僕らしくて良い!!?』


それって、自信があるからでしょ等、わけの分からない反響を払拭する為に、書き込みますが、

大事なのは【必死になること】【逃げない姿勢】を見せることかと。


もちろん死んでしまってはダメなので、逃げることも時として大切な判断ですが。。。

責任を背負いたがらない生き方が主流の現代日本社会であったとしても。。。

必死になって逃げずにやり切って、初めて次のステージが見えるモノだと、僕は思います。


【必死って、カッコ良くないですか???】


もちろん、お客様を大切に迎え続ける現役ホストの子達に、ナンバー争いで勝てるとも思っていません。

また、顧問である僕の最終ミッションは、No.1を取ることではありません。

現実問題、No.5圏内がいいところでしょう。

それでも、僕はNo.1を狙う姿勢で臨みます。

必死になってNo.1を取ることが、ご指名頂くお客様への一番の恩返しであり、

(教えの意味でも)次への通過点だと知っているからです。



今回の決断、自分で自分を笑っちゃいます。

普通は選ばない、というかそういった考えにならないのに、ね。


でもね。

自身のなかの長期的目標と向き合った時、この決断に至りました。

【長期的目標:人を育てたい、大事な人をバックアップ出来る男になりたい】

【僕の武器:ブランディング技術。自称カッコマン、そのひとつは逃げない姿勢。】

参照:目標が定まったのは熊本に行ったから
(URL後日掲載します)


そんな背景から、筋として一番最初に限定出勤の声を掛けてくれた、龍一社長が率いるお店、

イケてるオッサンのステージ(I:イケテル、O:オッサンの、S:ステージ)、

トップダンディー・アイオス(I-OS)にて、2013年12月度より、現役ホスト出勤することを決めました。

紹介:トップダンディー・アイオス(I-OS)
http://t-ios.com/


ちなみに、現アイオスの箱は、以前フェイズグループ社長時代の僕が、フロア全改築設計から手掛けたモノ。

また、13年前トップダンディーにて代表を務めていた時に紹介を受け、ヤンチャな龍一を面接したのは僕。


何が言いたいか。

本当のプライドとは、変なこだわりにとらわれて逃げる、弱い自分を守ることではなく、

『這いつくばってでも立ち上がること!!』ではないでしょうか???


あらためて。

そんなカッコつけな僕に、活躍の舞台を与えてくれる仲間に感謝し、

店舗:トップダンディー・アイオスから、ブランド:グループダンディーの未来へ、

更なる発展に貢献します!

まずはカッコマン復活物語の序章に、ご期待ください!!



                               三百六十五歩のマーチ 水前寺清子
                      「休まないで 歩け ソレ ワン・ツー ワン・ツー」
                                  2013.12.12 カッコマン 






滞在スケジュール

熊本でのご依頼、東京でのご依頼、ドコにいるの?(笑)

そんなお話がチラホラ。ココにも滞在スケジュールを書き込んでおきます。

何かお役に立てる時は、遠慮なくお電話下さい(^^)/


5/9(木)〜5/10(金)東京
5/11(土)〜5/12(日)静岡
5/13(月)〜5/24(金)東京
5/25(土)新潟
5/26(日)〜熊本予定

※東京滞在中は、新宿と六本木をメインに動いているなか、
19:00-25:00は歌舞伎町ホストクラブに出勤します☆



「流星います。」
プロフィール
水野正大

カッコマン
水野 正大(ミズノ マサヒロ)
流星(リュウセイ)


1974年2月28日
東京に生まれる。うお座。
1994年
新宿 歌舞伎町にてホストを始める。
源氏名は「流星」
2002年
独立。
歌舞伎町ホストクラブ・フェイズグループを設立。
2005年
六本木フォト&メイクスタジオ GADPAを設立。
2009年
新宿にてホールディング会社
(株)SDJを設立。
2011年
フェイズグループ解散
2013年
熊本に居を構える。
東京まずは歌舞伎町から復活ストーリー開始

全国ホストクラブグループダンディー
/顧問
六本木フォト&メイクスタジオ GADPA
/オーナー

現在、熊本と歌舞伎町と六本木を廻る生活をしています。

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